甲州金は戦国時代の甲斐武田氏支配期にはすでに存在していた。以後、江戸時代に至るまで甲斐国に見られた「特別な金貨」である。

 当初は「碁石金」とも呼ばれた金の粒で、刻印もなく、むしろ貨幣というよりも軍用金や恩賞に使われた特別な価値を持った「もの」であった。目方は1匁(3.75g)〜4、5匁と不揃いである。戦国期にあっては、いつ起きるか分からない戦いにも、運搬が容易で、どこでも通用し、かつ部下に対する恩賞としての絶大な効果があるとなれば、戦国武将が目の色を変えて金山の開発や争奪戦を繰り広げたとしても不思議でない。「甲陽軍艦」には「・・・当座の褒美として、碁石金を信玄公の自身の両の手に御すくひなされ、三すくい彼河原村「伝兵衛」に下さるる」とある。
 のちに松木・志村・山下・野中
の四金座が現れ、甲斐国一国に通用した「貨幣単位」が設けられ盛んに鋳造された。甲州金は日本で初めて制度化された貨幣として注目される。
 甲州金の貨幣制度は四進法でできており、金一両(4匁=15g)の4分の一が1分、1分の4分の1が1朱、1朱の2分の1が朱中、1朱の4分の1が糸目、糸目の2分の1が小糸目となっていた。この制度は江戸幕府の貨幣制度の基本ともなった。



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