山梨県南部の天子山地は毛無山から南北に連なって、静岡県との県境を成しており、約1500万年前の新第三紀の火山岩・泥岩に入り込んだ石英脈として金鉱石などが産出する。
 下部町の湯之奥金山と富士宮市の富士(麓)金山は同じ鉱脈を東西から採掘した鉱山である。下部町内には雨河内川上流の常葉金山、栃代川上流の栃代金山、本栖湖南西の川尻金山などが知られている。
 その毛無山の山腹にある中山金山・内山金山・茅小屋金山の3つの金山を「湯之奥金山」と総称する。高い山の金脈を追った金山衆の技術を示し、江戸期に盛んになる金・銀山の源となった戦国期の金山の姿を今に伝えている。





 甲斐の国を本国とした武田氏は、信玄とその子勝頼の時代に支配領域を最も拡大し、それは信濃、駿河、上野、遠江、三河、美濃、飛騨、越中にまたがっていた。
 それらの地には、武田氏との関わりを伝える金山が今でも多く存在している。
 下部町の湯之奥金山(中山・内山・茅小屋)をはじめ南部町の十島金山、早川町の黒柱・保金山、塩山市の黒川・牛王院平・竜喰金山、大月市の金山金山、長野県の甲武信・金鶏金山、静岡県の富士(麓)金山・梅ヶ島・井川金山、愛知県の津具金山と、その他,常葉・栃代・川尻・雨畑・大城・安倍・黄金沢・鈴庫・丹波山・秋山金山・須玉・斑山・御座石・土肥・黄金山等がある。武田領最大事には領内におよそ28金山を保持していたことが確認されており、豊富な金の産金量を誇っていた。
 それらのなかで、湯之奥金山と黒川金山は最も古い金山といわれており、湯之奥金山のうち中山金山の操業の始期は15世紀末期、黒川金山は16世紀初頭と推定されている。
 ともに武田家が戦国大名の地位を獲得する以前に操業されていたことになり、信玄公の時代にはすでに活況を呈していたものと思われる。 湯之奥金山が、山金を採取する初源的特徴を持つ金山であることは、出土品や採掘坑などから推測することができる。


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